井伊家上屋敷跡 弁護士 宮岡孝之
国会議事堂前の庭園は、かつて加藤清正の藩邸があり、後に井伊家の上屋敷となります。
この上屋敷から外桜田門に向かう間に、井伊直弼は水戸藩士らに襲撃されます。
ここから暫くは桜田門外の変について書こうと思います。
井伊直弼は、彦根藩11代藩主井伊直中の14男です。
本来であれば部屋住みで一生を終わるところでしたが、兄たちの死によって1850年に13代藩主となります。
1854年3月、幕府はペリーと日米和親条約を結びます。
その後、幕府はハリスと交渉して、日米修好通商条約案を作成し、勅使を得るために時の老中が上洛します。
孝明天皇は、諸大名と議論を尽くして、再び言上せよとして差し戻します。
その時、13代将軍徳川家定が井伊直弼に大老を命じます。
弁護士 宮岡 孝之