日米修好通商条約の締結 弁護士 宮岡孝之
井伊直弼は大老に就任した当時、条約締結に積極的ではありませんでした。
ハリスは、井伊にイギリス・フランスが清国と戦い勝利したアロー号事件を伝えて、日本が標的になる前にアメリカと条約を結ぶべきだと迫ります。
井伊は日本側全権大使に「万策尽きた場合には調印してよい。」との内諾を与えます。
その結果、安政5年日米修好通商条約が締結されます。
この内容は、治外法権と関税自主権が認められない不平等条約であり、この改正が明治維新後の近代化の原動力になったとも言われています。
朝廷は、勅許なく条約を結んだことに激怒し、水戸藩に幕政改革を命じる戊後の密勅を下します。
これに勢いづいた攘夷派を一掃するため、井伊は安政の大獄を断行。
井伊は水戸藩主らを処罰して、密勅の返納を命じました。
この処分に不満を持った水戸藩士の過激派が脱藩して大老暗殺を企てます。
弁護士 宮岡 孝之