よもやま話ー子規生誕地ー 弁護士 宮岡孝之
正岡子規は、慶応3年9月17日に温泉郡藤原新町に父常尚・母八重の長男として誕生。
父は松山藩馬廻役であったが、平和が続いた江戸末期のこと、禄高14石に過ぎずいわゆる下士であったとのこと。
八重は松山の漢学者大原観山の子であり、観山は子規を可愛がり子規に漢学の素養を与えた。
筆まかせ(明治22年)によれば、父は「その大酒家なりしことは誰もいふ処にて、毎日毎日一升位の酒を給ひ、それがために身体の衰弱を来し」子規6歳(満4歳、以下では数え年で表記)の時、死亡。
子規が家督を継ぐ。
子規は「処之助」と名付けられるが、言葉が遅く「トコロテン」と言われては可哀そうとのことで「升(のぼる)」と改められる。
母八重は生涯子規を「升」と呼んだ。
※南堀端から市駅に向かう歩道に「正岡子規誕生邸址」の石碑あり。
何度と通ったことはあるはずなのに、気付かず。
弁護士 宮 岡 孝 之

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