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2023年10月

保科正之  弁護士 宮岡孝之

保科正之  弁護士 宮岡孝之

 

桜田門をとおって、大名小路に。

桜田門を入ってすぐの一角に新添江戸之図(1657年頃作成)に「保科肥後」とあり、

ここに保科正之の家敷があったことを示しています。

保科正之は、三代将軍家光の異母兄弟です。

 

秀忠は正妻のお江に気兼ねして生涯側室を持たなかったといわれています。

秩序維持のために側室を持つためには正室の許可が必要であり、

格式を合わせるために養子縁組をするなどの手続が必要だったようです。

 

この手続きをしない間に静との間に子をもうけた為、

このことをお江には秘密にして保科家に養子に出しました。

 

保科正之は四代将軍家綱な後見人として活躍します。

保科正之が明暦の大火で焼失した江戸城の再建に反対したとか、

会津藩主となり徳川第一主義をとったといわれています。

 

                               弁護士 宮岡 孝之

 

 (※添付は、国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース「新添江戸之圖」より)

 

 

桜田門の石垣 弁護士 宮岡孝之

桜田門の石垣 弁護士 宮岡孝之

 

桜田門の石垣は、黒い伊豆石と白い瀬戸石の組み合わせで出来ています。

石組みの美しさでは、この石垣が一番だと思います。

 

また、江戸城は土の城と書きましたが、この土を利用して防御するために濠を作ります。

足がぬれると滑って上ることが出来ません。

 

濠の淵が水に侵食されるのを防ぐため「腰巻石垣」が、

土手の上部には、防御のために構築物を作るために「鉢巻石垣」が作られています。

 

武蔵野台が終わったところから総石垣が始まります。

ここはその切り替わり場所ということになります。

 

弁護士 宮岡 孝之