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2023年07月

日米修好通商条約の締結 弁護士 宮岡孝之

井伊直弼は大老に就任した当時、条約締結に積極的ではありませんでした。

ハリスは、井伊にイギリス・フランスが清国と戦い勝利したアロー号事件を伝えて、日本が標的になる前にアメリカと条約を結ぶべきだと迫ります。

井伊は日本側全権大使に「万策尽きた場合には調印してよい。」との内諾を与えます。

その結果、安政5年日米修好通商条約が締結されます。

この内容は、治外法権と関税自主権が認められない不平等条約であり、この改正が明治維新後の近代化の原動力になったとも言われています。

朝廷は、勅許なく条約を結んだことに激怒し、水戸藩に幕政改革を命じる戊後の密勅を下します。

これに勢いづいた攘夷派を一掃するため、井伊は安政の大獄を断行。

井伊は水戸藩主らを処罰して、密勅の返納を命じました。

この処分に不満を持った水戸藩士の過激派が脱藩して大老暗殺を企てます。

 

                                         弁護士 宮岡 孝之

井伊家上屋敷跡  弁護士 宮岡孝之

井伊家上屋敷跡  弁護士 宮岡孝之

国会議事堂前の庭園は、かつて加藤清正の藩邸があり、後に井伊家の上屋敷となります。

この上屋敷から外桜田門に向かう間に、井伊直弼は水戸藩士らに襲撃されます。

ここから暫くは桜田門外の変について書こうと思います。

 

 井伊直弼は、彦根藩11代藩主井伊直中の14男です。

本来であれば部屋住みで一生を終わるところでしたが、兄たちの死によって1850年に13代藩主となります。

 

1854年3月、幕府はペリーと日米和親条約を結びます。

その後、幕府はハリスと交渉して、日米修好通商条約案を作成し、勅使を得るために時の老中が上洛します。

孝明天皇は、諸大名と議論を尽くして、再び言上せよとして差し戻します。

 

その時、13代将軍徳川家定が井伊直弼に大老を命じます。

 

                                       弁護士 宮岡 孝之