ちょっと寄り道-天守台2- 弁護士 宮岡孝之
天守を建築しようとした時、家綱の叔父である保科正之は、平和な時代に遠くから眺めるだけの天守は不要として、建築に反対。
実際寛永天守の役割は、物見の時に使うだけであり、日常的には武具甲冑、書画骨董を仕舞う場所として使われていたようです。
その費用を民のために使うべきだとして両国橋を架けます。
これは明暦の大火で民が逃げられなかったのは、川を越えられなかったからで、避難に役立てようとしたもの。
武蔵野国側に回向院を作り亡くなった民を弔います。
この回向院の隣地に吉良上野介の屋敷を鍛冶橋から移転させます。
これは仇討ちを容易にするためにとも。
弁護士 宮 岡 孝 之

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