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2025年03月

富士見櫓  弁護士 宮岡孝之

富士見櫓  弁護士 宮岡孝之

中雀門を背にして本丸を左に向かうと富士見櫓が。

明暦の大火で江戸城を焼失してから、天守の代用とされました。

将軍が両国の花火を楽しみ、富士山を見たと伝えられています。

「八方正面の櫓」ともいわれています。

ある説明では「どこからみても同じような形にみえることから」この別名がつけられたとあります。

別の書籍では、各面が優美な外観をしているからとも。

 三層三重櫓で、南面一重には唐破風付き出窓が、

西面は一重に切妻破風付き出窓と二重に唐破風が、

東面は二重に唐破風が置かれており、各面とも意匠が凝らされています。

 

石垣は加藤清正の積んだ打込接です。

今回の写真は、坂下門から乾門までの通り抜けができた時に撮影したものです。

 

弁護士 宮 岡 孝 之

よもやま話 =子規の写真=  弁護士 宮岡孝之

よもやま話 =子規の写真=  弁護士 宮岡孝之

60年以上前、父に連れられて現存12天守の一つである松山城に。

そこで、東西南北を教えられたと記憶しています。

城北で育った私は、お城が見える方が南、お城を右手にすると東と理解していましたから、

城の上で東西南北を教えられて困惑したようです。

城内には暗い表情の男性の横向きの写真が。

この人物が正岡子規と分かったのは、後のことです。

 

伊集院静の「ノボさん」にこの写真のことが紹介されています。

「明治33年12月23日に蕪村紀が開催されたが、子規は容態が芳しくなく、

 恒例の記念撮影ができなかったので、翌日根岸の写真館春光堂から写真師が来て写真をとることになった。

 子規1人の写真なので趣向を凝らしたいということで横顔を撮影することになった。

 やや上向き加減に取りたいというので子規はそれに従った。」(一部要約)。

 

認定こども園専修大学北上幼稚園の卒園日に祝辞で1句詠んでいます。

 昨年は、

「子供らの 成長を見る 卒園日」

でした。

さて、今年は・・・・。

 

弁護士 宮 岡 孝 之