よもやま話ー子規の下宿がへー 弁護士 宮岡孝之
「筆まかせ」には、「明治16年出京して日本橋区に住し、1箇月許りにて赤坂区に転じ」とある。
赤坂に引っ越したのは、明治16年7月に須田学舎に入学したことも理由であろう。
子規は須田学舎に寄宿していたとされる。
須田学舎は、赤坂区丹後町99番にあったとのこと。
そこで、明治40年1月作成の赤坂区の地図から丹後町99番を探し、現在の地形と重ね確認できた場所が写真の赤坂4丁目4-13「丹後フラット」というビルである。
「伝記正岡子規」に次のような記述がある。
「久松邸の書生小屋で自炊生活を始め、三人部屋であったことから先に入居している先輩に何かにつけていじめられた。また、今までしたことのない炊事買い物を命令されたことも嫌であったが、安心して勉強できないという精神的苦痛が大きかったので、そこを1カ月余りで飛び出した。」とある。
この時から子規の“下宿がへ”は6年間に15回に及ぶことになる。
弁護士 宮 岡 孝 之

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