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2025年11月

天守台へ 弁護士 宮岡孝之

天守台へ 弁護士 宮岡孝之

いよいよ天守台に向かおうかと思います。

天守は、慶長度、元和度、寛永度と3度建築されています。

元和度天守から現在の天守台がある北桔橋門近くに建築されます。

理由は政務が多くなり、会議や面談をする場所を確保するために天守の位置を移動したということです。

 

東御苑休憩所に寛永度天守の30分の1の模型かあります。

代将軍家光が作りますが、明暦の大火で焼失しました。

               

弁護士 宮 岡 孝 之

よもやま話ー子規生誕地ー 弁護士 宮岡孝之

よもやま話ー子規生誕地ー 弁護士 宮岡孝之

正岡子規は、慶応3917日に温泉郡藤原新町に父常尚・母八重の長男として誕生。

父は松山藩馬廻役であったが、平和が続いた江戸末期のこと、禄高14石に過ぎずいわゆる下士であったとのこと。

八重は松山の漢学者大原観山の子であり、観山は子規を可愛がり子規に漢学の素養を与えた。

筆まかせ(明治22年)によれば、父は「その大酒家なりしことは誰もいふ処にて、毎日毎日一升位の酒を給ひ、それがために身体の衰弱を来し」子規6歳(満4歳、以下では数え年で表記)の時、死亡。

子規が家督を継ぐ。

子規は「処之助」と名付けられるが、言葉が遅く「トコロテン」と言われては可哀そうとのことで「升(のぼる)」と改められる。

母八重は生涯子規を「升」と呼んだ。

 

 

※南堀端から市駅に向かう歩道に「正岡子規誕生邸址」の石碑あり。

 何度と通ったことはあるはずなのに、気付かず。

               

弁護士 宮 岡 孝 之