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2026年02月

ちょっと寄り道-天守台- 弁護士 宮岡孝之

ちょっと寄り道-天守台- 弁護士 宮岡孝之

明暦の大火は、江戸市中に建物が密集していたため被害が拡大しました。

幕府は江戸の測量をして防災計画を立案。

江戸城が焼失したのは、水堀一つを隔てただけでは類焼を防止できないためです。

そこで、火除け地をつくることにします。

その一つの例が、吹上にあった尾張・紀伊・水戸の御三家の上屋敷を郭外へ移転させ、内郭に空き地をつくります。

その結果、尾張・紀伊は麹町の先に、水戸は小石川に移転。

また内堀の外に作った火除け地に明治時代に学校が作られます。

例えば、東大発祥の地などです。

やがて、天守を建てようという機運が盛り上がり、加賀金沢藩の前田綱紀に天守の石垣を作らせます。

弁護士 宮 岡 孝 之

よもやま話ー番町小学校ー 弁護士 宮岡孝之

よもやま話ー番町小学校ー 弁護士 宮岡孝之

愚陀佛庵が番町小学校に再建されるという記事有。

愚陀佛庵は子規と漱石が共に暮らした漱石の下宿先。

番町小学校は子規が通った勝山学校を他の学校と合わせて開学したことから子規の母校といわれています。

その縁で再建の地となったのでしょう(愚陀佛庵については後日詳細に)。

番町小学校の正門には子規が箱根を目指して草履のひもを結んでいる旅立ちの像と、

「國なまり故郷千里の風かをる」の句碑があります。

 

                                       弁護士 宮 岡 孝 之