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2026年03月

ちょっと寄り道-天守台2- 弁護士 宮岡孝之

ちょっと寄り道-天守台2- 弁護士 宮岡孝之

天守を建築しようとした時、家綱の叔父である保科正之は、平和な時代に遠くから眺めるだけの天守は不要として、建築に反対。

実際寛永天守の役割は、物見の時に使うだけであり、日常的には武具甲冑、書画骨董を仕舞う場所として使われていたようです。

その費用を民のために使うべきだとして両国橋を架けます。

これは明暦の大火で民が逃げられなかったのは、川を越えられなかったからで、避難に役立てようとしたもの。

武蔵野国側に回向院を作り亡くなった民を弔います。

この回向院の隣地に吉良上野介の屋敷を鍛冶橋から移転させます。

これは仇討ちを容易にするためにとも。

 

弁護士 宮 岡 孝 之

よもやま話ー松山中学校ー 弁護士 宮岡孝之

よもやま話ー松山中学校ー 弁護士 宮岡孝之

松山中学校と言えば、夏目漱石の「坊っちゃん」が赴任した中学校としてあまりにも有名。

子規が松山中学校に入学したのは、明治13年(専修学校創立の年です)。

明治16年に上京するまで在学。

在学時代の子規は、五友の会をつくり、子規が学校から贈られた頼山陽編の「謝選拾遺」を読むため千舟学舎に通うなどした。

また、石手川の堤防で、風景を描くなどしたということである。

松山中学校は、愛媛県庁の向かいにあり、松山中学校跡という碑があったが、現在は建物が改築中で碑が見当たらず。

松山中学校前の松山城の濠を撮影。

子規もこの濠を見ながら通ったことであろう。

 

                                       弁護士 宮 岡 孝 之